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中村彰彦著「慈悲の名君 保科正之」を読む。 [癒し]

桜の季節になります。

長野県高遠の桜は、有名です。

保科家は、高遠の藩主です。

保科正之は、4代将軍徳川家綱の輔弼役として、その職責を全うし、

徳川幕府の礎を築いたひとりです。

日本史の授業で名前は、知っていましたが、どのような生い立ちで

彼が、幕府の中で重要な役割を担ってかは、知りませんでした。


明治政府の歴史認識を決めたのは、

薩摩藩出身の重野安繹と佐賀藩出身の久米邦武です。

この二人が、会津藩を賊徒首魁とみなす歴史観を持ち、

彼らの考えが、文部省公認の官製史観とされました。

この史観により、、保科正之が、歴史の中で正当に取り上げられなくなったのです。

この本の帯書きに下記のように書かれていますので、引用します。

徳川幕政の文治主義に導き、為政者の鑑として、語り継がれた会津藩祖保科正之。 四代将軍家綱の輔弼役として、ひたむきに万民の便利安居を求めた名君ながら、 その姿は、今だ歴史の陰に埋もれている。 明暦の大火や玉川上水の開削問題にみせた抜群の指導力 会津藩内に実現させた社倉 老養扶持 救急医療の先見的な福祉制度 そして、加賀や米沢ほか諸藩に及んだ救済措置。 名君の足跡を辿り、清冽な生涯を現代に蘇らせる。


保科正之は、2代将軍秀忠側室のの子供です。

正室お江与の方の嫉妬を恐れ、

武田信玄の遺児(娘)見性院に預けられ、

7歳まで育てられ、その後高遠藩の保科家の養子となりました。

家光が3代将軍になり、異母弟として、処遇をするようになり

幕府の重臣として、政務に参加するようになっていきます。

彼は、私心が全くなく、民のために何をすべきかを常に考え

実践しました。本来は、彼の提案である数々の業績が

後世に伝わっていないのは、晩年にすべての文書を処分してしまっているからです。

その部分を引用すると

正之は、「あの政策は、おれが提案したものだ」などといって胸をそらすタイプの政治家ではなかった。 むしろその反対に、自分の献策書の類が死後に伝えられ、「あの政策も肥後守さまの 考えによるものだったのか、他幕閣たちは、なにをしていたのだ。」 などとお言い出すものがあらわれてまだ、生きているものたちに迷惑をかけてはいけないと考え、 自分の足跡を消す作業をあえて行ったものと思われる。


今の日本の政治の現状を見るにつけて、

保科正之のような私心のない政治家が待ち望まれます。






慈悲の名君 保科正之 (角川選書)

慈悲の名君 保科正之 (角川選書)

  • 作者: 中村 彰彦
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2010/02/10
  • メディア: 単行本



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コメント 3

医師

去年高遠城の桜を見に行ってきました。
地元では保科正之は有名みたいですが、全国的にはまだまだ、でしょうか?


by 医師 (2010-03-22 14:45) 

Lily

医師さま

コメントありがとうございます。
お時間がありましたら、是非、この本を読まれることをお勧めします。
NHK大河ドラマで取り上げてもらうように運動をしている人がいると
本の中に書かれていましたが、私も是非大河ドラマで取り上げてもらいたいと思いました。
by Lily (2010-03-22 20:43) 

E&Mデザインワークス

はじめまして。素敵な人ならぜひ大河ドラマに取り上げてもらいたいですね。昔は偉人がたくさんいたのに、現在はどうなの?って思っています。
by E&Mデザインワークス (2010-07-08 15:30) 

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