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歌舞伎事始その12 浄瑠璃余話 [歌舞伎]

京都では都太夫一中が近松の心中物を一中節に直して語り

人気を博しました。唄う部分を重視し情に訴え品よく語りました。

反対に歌う部分をどぎつく語ったのが弟子の都国太夫半中で

宮古路豊後じょう(漢字に変換できないのでひらがな表示です)と称し、

自分で宮古路節と名づけました。

1734年江戸で宮古路節をはじめ大ヒットしましたが、

宮古路節に影響を受けて江戸では心中や不倫が相次ぎ

1739年宮古路節は禁止されました。

それに伴っていわゆるお稽古事は男女別々になり

男の師匠は男の弟子だけ 女の師匠は女の弟子だけに

教えるようになりました。

宮古路節が禁止され失意のうちに宮古路豊後じょうは京都に帰り

2年後になくなりました。

豊後じょうの弟子が看板を架け替えて商売をしました。

弟子が作った流派に

常磐津 富本節 清元節 新内節があり、この4流を豊後4流を言います。

新内節は、花柳界やお座敷で演奏されるので

新内節を除いて他の3つを豊後3流といいます。

歌舞伎音楽の主流は、常磐津と清元節です。

 


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歌舞伎事始 その11 浄瑠璃の流派について [歌舞伎]

竹本義太夫がはじめた浄瑠璃を「義太夫節」といいます。

1685年浄瑠璃作家近松門左衛門の作品「出世景清」を演じ

それが大ヒットし浄瑠璃の決定版となりました。

竹本義太夫は、自分の流派を当流といい

以来義太夫節が、浄瑠璃の主流となります。

他の流派もありますが、人形浄瑠璃は、義太夫節と合わせて演じるのが

主流になります。

歌舞伎の演目の中で元々人形浄瑠璃の作品が多く、

これらの作品を

義太夫狂言 デンデン物 丸本物 丸本歌舞伎などといいます。

歌舞伎の演目の半分は義太夫狂言で時代物に限ると7割は義太夫狂言です。


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歌舞伎事始 その10歌舞伎の音楽について 浄瑠璃1 [歌舞伎]

 歌舞伎の音楽は役者の芝居にとても重要な役割を持っています。

  以下日本の音楽について書きます。

   ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

声楽的分類

「うたいもの」

  特徴 叙情的 感情に訴える 主観的 旋律的 短篇

  種類 地歌 長唄 小唄 端唄 歌沢 

「語り物」

  特徴 叙事的 出来事を語る 客観的 非旋律的 長篇

  種類 浄瑠璃 浪曲 口説(例河内音頭 物語を延々と語る)

 歌舞伎に関する音楽は浄瑠璃と長唄です。

   ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

浄瑠璃は室町中期に琵琶法師が始めて平家物語を琵琶にのせて語ったのが始まりといわれています。(平曲)平家物語ばかり語っていると次第に聴衆から飽きられてきたので色いろな物語を語り始めました。

そのひとつに「浄瑠璃物語」があります。この話は、東海道の宿場矢萩の浄瑠璃姫がたまたまお忍びで東下りをしていた牛若丸と恋に落ちるという内容です。この話が一番聴衆に受けました。その後「浄瑠璃姫」の節に合わせて色いろな物語を語るようになりそれらを総称して「浄瑠璃」と呼ぶようになりました。

最初は、琵琶で語っていましたが、安土桃山時代の終わりころ琉球から境の湊に三線(さんしん)が入ってきてそれを改良して三味線ができました。

琉球の三線は長いつめをつけて弾きますが、琵琶法師が琵琶をばちで弾いていたので、三味線も琵琶よりも小さなばちを使って弾くようになりました。

 

 


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歌舞伎事始 その9 小道具余話 [歌舞伎]

江戸時代小道具は役者の自前でした。

そのため役者は競っていいものを身に付けようとしました。

2代目団十郎が享保年間 銀箔入りの小道具を使い、

幕府から5日間の出場停止を受けました。

1850年(寛永3年)江戸三座の申し合わせにより

小道具 衣装は座持ちになりました。

1872年(明治5年)初代藤波与兵衛が小道具貸し出し業をはじめました。

始める際に各座で保管していた小道具類をかき集めたり

旧士族や公家の人たちが持っていた武具や古美術品を安く

買い入れたりしました。

現在 藤波小道具が歌舞伎の小道具は独占していますが、

歌舞伎部門は赤字で子会社の藤波アートセンターを作り、

他の舞台芸術の小道具を200以上の下請けを使って

作り貸し出しています。

 


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歌舞伎事始その8小道具について [歌舞伎]

小道具は大きく分けて

出道具(幕が開いたとき舞台に出ている道具)

持ち道具(役者が舞台に持って出てくる道具)があります。

その中間に陰道具(最初は舞台に出ていないで暖簾の裏や舞台の陰に

出ていてあるきっかけでもってでる道具)があります。

別の扱いとしての道具分けとして

冠り物冠)履物(ぞうり)武具(刀剣 よろい かぶと)

動物(人間の首 片腕)

乗り物(主に籠)などがあります。

さらに別の分類として

本物 拵え物があります。

ほかに本物の一種ですが消え物

(一回の舞台でなくなるもの)食べ物があります。

 

 

 


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歌舞伎事始その7 大道具の製作について [歌舞伎]

原則として道具帳と呼ばれる舞台装置図に基づき骨組みを作ります。

下の4部門に分かれています。

「生地(きじ) または大工」骨組みを作る人

「張り方紙や布で張る人

「塗り方」塀 屋根 壁などを描く人

「画師景色 立木 襖絵などを描く人 

構造としては、二重と張物の二つを基本に構成されます。

二重とは、舞台の床と平行に一段と高く、

家屋 土手 山などの土台を作る台の事で

高さによって尺高(しゃくだか)常足(つねあし)高足(たかあし

などの種類があります。

張物とは、壁や背景を描いて舞台に立てる板のことで

普通縦2間(約3・6メートル)横6尺(約1・8メートル)の大きさ

一寸(約3センチ)角の木材で枠を作りその中に桟をつけて

紙や布を張ります。

張物には、

 書割

背景・壁・屋根・樹木などは、張物を適当な大きさに

切ったりつないだりして上に絵を描くもの

 切出し

一枚の板をきって作る (例)木 灯篭 草むらなど

切出しの中に

 平もの

 半丸 

 丸物があります。


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歌舞伎事始その6 大道具と小道具の違いについて [歌舞伎]

大道具は野郎歌舞伎の始まりに伴って生まれました。

野郎歌舞伎では、多くの幕を使う芝居が演じられそれに伴い、

引き幕が作られ、芝居の中で使われる道具の組み立て

装置の設営が必要になりました。

大道具とは、

引越しのときに持っていけないもの(不動産 自然のもの)

大道具を扱う人も大道具あるいは大道具方と呼びます。

これに対して小道具とは

引越しのときに持っていけるもの(動産)

家具 調度品 乗り物 所持品 動物 頭(かしら)ぬいぐるみ

首 腕 足など

原則として動きが伴うと 本来大道具のものが、小道具になります。

(例)

木は、大道具ですが、切りあいのときに使う木の枝は、小道具です。

手水鉢は、大道具ですが、仕掛けのしてある手水鉢は、小道具です。


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歌舞伎事始その5 裏方とは幕の内側にいる人のこと [歌舞伎]

歌舞伎で言う表方は、幕の表側にいる人を指します。

  興行主 社長 支配人 切符売り場の人

  モギリ(切符をもぎる人)案内係 宣伝担当者 経理担当などです。

裏方は、芝居の演出に直接かかわる人を指します。

  頭取(楽屋うちすべてを仕切る人で会社でいうと

     庶務課長のような仕事をする人)

  狂言役者 大道具担当の人 囃し方 

役者の演技を直接的に彩る人

  衣装 肉屋さん 小裂 鬘 床山 小道具などの担当する人です。

さらに明治以降の裏方として新しい職種が生まれ

  作者 演出家 舞台美術家 舞台監督 照明 音響の人

裏方になります。


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歌舞伎事始その4 定式幕について [歌舞伎]

歌舞伎の舞台には定式幕がかかっています。

定式幕の由来について書きます。

3台将軍家光のころ三浦岬で安宅(あたけ)丸という舟が建造され

そこから新大橋に(隅田川)あるお船蔵まで運ぶことになりました。

ところがあまりにも舟が大きくて途中で動かなくなりました。

そのときに初代中村勘三郎が金のざい(木やりで使うもの はたきの先に

布のようなものとか細くきった皮がついて 手に持って振るもの)を振ったところ

舟が動きだし、お舟蔵に収めることができたことに対する報奨として

安宅丸で使っていた船覆いを下賜された。それを中村座で定式幕として

使った。色は、右から黒白柿です。

江戸三座の市村座は、右から黒柿萌黄

森田座は、右から萌黄柿黒です。

今の歌舞伎座は、市村座の黒柿萌黄です。

国立劇場は、森田座の萌黄柿黒です。

ただ、歌舞伎座で中村勘三郎の公演や、追善公演

などまた、平成中村座では、右から黒柿白の江戸中村座の

定式幕を使います。


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歌舞伎事始 その3 女歌舞伎はなぜなくなったのか [歌舞伎]

出雲のお國たちが始めた女歌舞伎は踊りと寸劇で構成されて

能の狂言師が振り付けをしていました。

大谷図書館蔵「かふきのさうし」や京都大学蔵「国女歌舞妓絵詞」に

実際の舞台の様子が絵として残っています。

それをみるとお国が男装をして刀をさして狂言師が遊女の格好をし

なごやさんざがお國の恋人として描かれています。

いわゆる倒錯劇です。

年表では1603年に女歌舞妓が成立しています。

しかし、1629年に女歌舞妓禁止令が出され

姿を消し、美少年が演じる若衆歌舞妓に取って代わります。

どうして女歌舞妓が、禁止されたのか

次の理由のようです。

京都の遊郭で遊女を使った女歌舞妓が行われるようになり、

風紀が乱れたために禁止されました。

同じ理由で1651年若衆歌舞伎も禁止され

1653年野郎歌舞妓として再許可されます。

このとき野郎の条件は、

前髪を切る。おでこを出す。月代をそる。でした。

ここで女方芸が始まります。

今口上を述べるときに女方を演じる役者の頭に紫の袱紗をつけるのは、

野郎帽子の流れを汲んでいるものです。

 

 

 


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